弥生三月。寒さも和らぎ始め「春」の到来ですね。
年度替りでもあり、引越しや新生活への移行などで慌しい時期なのではないでしょうか。
植物も芽が動き出し、景色が少しずつ華やかになってきます。
先日、仕事の関係で英彦山の中腹まで行ってきました。街中から30分も車で走れば景色は山ばかり。
深くなる山中でスギの伐採と間伐作業を目にしました。
「スギ」と言う言葉を聴くだけで「嫌な季節」と思われる方も多いかと思います。私は幸いにも「花粉症」には縁がないのですが、伐採と間伐の作業は初めてみました。
今回は「スギ」についてご紹介しましょう。
スギ 杉、学名:Cryptomeria japonica ヒノキ科スギ属の常緑高木。
日本特産の針葉樹です。
日本固有種で、最南端の屋久島から東北地方まで分布しています。
スギはヒノキより湿潤な土地を好むので、スギは山の山腹から谷間に植えられ、山の尾根にかけてはヒノキが植えられています。
山地で多く植林され、名前の由来は、真っ直ぐに伸びる樹木→「すぎ(真)な木」からスギになったと言われています。
漢字では「杉」と書きます。日本では「スギ」と呼びますが、中国ではコウヨウザンの事を指します。日本特産のスギには「椙」の字が望ましいのだそうです。(国字だそうです※。百科事典より)
※国字:その国の国語表記に用いられている文字の総体。(大陸から
来た文字とは異なる)榊(サカキ)、鰯(イワシ)、峠(トウゲ)、畑(ハタケ)、辻(ツジ)
など大半が訓読みの文字。日本独自の漢字。
また、欧米言語の翻訳の中に、Cedar類(シーダ)をスギと訳しているものをみかけますが、Cedar類はマツ科なのでスギとは縁が遠い類になります。中央・西アジアやヨーロッパにはスギは分布していません。参考までに。
樹皮はヒノキと共に、桧皮葺(ヒワダブキ)の屋根に使用され、葉は乾燥させ線香の材料に使われています。
葉は基部が枝に密着し、先は尖り、姿は円錐形をしています。
花は雄花、雌花とあり、2月から4月ごろ開花し、雄花は5mm程度の楕円形で枝先に密生します。雌花は球状に近く表面に棘がでます。
スギは風媒花なので、大量の花粉を飛ばします。
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スギの開花 |
スギの実 |
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スギには地域品種が多く、材質も品種、系統も異なります。よく耳にするのは屋久杉、吉野杉、北山杉、天竜杉、秋田杉などが有名です。
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屋久杉(縄文杉) |
北山杉(台杉) |
※余談です。
北山杉の代表は台杉。1本の杉から枝を張らせ樹形を作ります。なぜこのような樹形?疑問でした。 京都北山は寒さが厳しく苗の生産が中々できないため、1本の木から沢山の枝を作ったそうです。
先人の知恵ですね。
【写真は百科事典より参照】
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スギは日本全国面積の12%を占めているそうです。なぜ植林がそこまで進んだのか?植林の歴史を調べてみました。
縄文時代にクリを植樹していた事は有名な話ですが、ブナやミズナラの林がクリ林に変化した形跡が認められました。(青森の三内丸山古墳より)クリは食用であり幹は建材として使用されたそうです。
弥生時代は米作で食生活等変化がありますが、クリ以外の植林の記載はありませんでした。
古事記や日本書紀に植林の歴史事実はありませんでしたが、富山和子氏※が紹介する文献(スサノオウ物語)に、日本書紀の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の別説として、『スサノオウは体毛を抜いてスギ、ヒノキ、マキ、クスノキを作り、その各々の用途を舟、宮殿、寝棺とし、木の実を蒔くよう指示した。』とあります。
事実であるかは分かりませんが、やはりどの時代からなのかはわかりませんでした。
※富山和子氏 環境問題評論家 日本は急斜面が多いにも係らず、豊な
水に恵まれているのは水田のおかげである。水田の働きに着目し、「水田はダム」
という言葉で表現した。自然環境における農業や林業の重要性を訴える。
著書:「お米は生きている」「環境問題とは何か」等。
奈良時代以降は、人口の増加や戦乱による火災や神社・寺等の増加などで、建材としての需要は急増したものと思われます。
奈良・京都では近場の山での建材不足から近江や北陸から調達をしています。
鎌倉時代に入ると、古文書にスギ植樹の記録が出てきます。
地方分権化の時代で、自国での生産消費、自分の領地内での生産が必要とされたのでしょう。
戦国時代以降は領主や藩主による治山治水、水田耕作等領民の生活向上のため拡大したと思われます。
江戸時代には、藩ごとの特産品としてのスギ・ヒノキが挙げられています。
スギ・ヒノキの美しさと共に藩の方針として植林が推進されたようです。
本格的な植林は戦後の農林省の政策にあったようです。第二次世界大戦によって荒廃した森林に、生育が楽で成長が早いスギを大量に植林しました。
1957年には国有林生産力増強計画をたて、建築材料としての天然林(広葉樹林)を伐採し、スギを中心とした樹種転換が行われたようです。
高度経済成長期は国有林等から生み出される木材がその成長を支えてきました。その後、円高による外国材の輸入増加や建築様式の変化により、国産材の価格低迷を招き林業財政が悪化。結果、森林の育成は後回しになり山は荒廃していくばかりで現在に至っているそうです。
現在では、花粉による人体への影響問題もありますが、スギ林は地すべり性崩壊を起こす事、林業の後継者不足による更なる山の荒廃、価格の安い発展途上国での伐採による地球環境への影響、森林の本来もつ生態系への影響等などスギが森林荒廃の元凶のように言われています。
地すべりは粘土状の土壌が原因の一つですが、スギの根系が及ばない深い場所で地すべりは起こります。
スギが地すべりを誘発するのではなく、地すべりが起きそうな場所にスギが自生しやすいようです。
スギ・ヒノキなどの針葉樹は全般に根を深く張りません。植林のスギの手入れをしなくなる事により樹木の生育が悪くなり、地表の植生も生じなくなります。斜面の表層は弱くなり、土壌は流されてしまいます。
よって、不安定な斜面を作り上げ大雨が降る事で崩落し、土石流という災害をもたらしているようです。(林野庁他資料より参照)
植林の歴史は私達の生活と密着し、時代と共に変化をしてきました。
植えたのは私達でその結果を迎えたのも私達です。今後、森林の荒廃を考えなければいけないのも私達ですね。
悲しい現実を見てしまったような気分ですが、スギは別に悪者ではありません。
スギやヒノキの持つ湿潤機能や香りを活かし、住宅や舟、桶、酒樽など私達の暮らしの中で関わり続けています。
湿潤機能はカビやダニの原因になる結露や湿気を除去し、香りはリラックス効果を発揮しストレスの解消や安らぎを与えてくれます。
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酒蔵の杉玉 |
スギは酒樽としても使われています。
別にスギを使用しなくても容器は様々あると思いますが、日本酒は各酒蔵によって、「家につく酵母」が異なるそうです。
杜氏が手作業で仕込んでいく日本酒には、熟成の為の時間や環境が必要なのだそうです。
その年の環境変化で酒の味が変わってしまうほど敏感のようです。
そこで登場するのが湿潤機能を持つスギやヒノキです。
ヒノキでも良かったのでしょうが、ヒノキは高価な上、材質が堅く加工がしにくい難点があります。スギは材質がヒノキより扱いやすく安価であったようです。
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酒樽は新しい場合香りが強く、酒を仕込む際にその香りが酒に溶け込み、なんともいえない香りと味わいを作り出すのだそうです。
酒樽を空けたとき、樽の中は酒の匂いが染みこみ、古くなった樽は今度は酢を作る樽になるそうです。
その後、解体され、スギの表面を削り再度組立、リ・ユースして一回り小さい樽として使用されているそうです。
酒蔵の杉玉を見た事があると思います。スギの葉を集めボール状に作ったものです。
酒林(サカバヤシ)とも呼ばれ、日本酒の造り酒屋などに緑の杉玉を吊るす事で新酒が出来た事を知らせる役目をしています。
最初は緑の玉ですが、枯れて茶色くなります。緑の玉の時は「酒を搾り始めました」の合図で杉玉が茶色くなるにしたがって、酒が熟成する具合を知らせているのだそうです。
酒屋の看板のようであるが、本来は酒の神様への感謝を捧げるものであったとされています。
もう少しすると、造り酒屋の軒先に飾られた杉玉が新しいものに替わります。
酒好きには堪らない風景なのかもしれません。
仕事でしたが、山の中に入り間伐と植林の風景をみました。
鬱蒼とした山の中腹に光が差し込み、2mくらいの幼苗のスギが植えられていました。この後、次の伐採は30年後か50年後なのでしょうか。
管理をされているスギ林は素晴らしい光景でした。
スギの花粉は日本全体の問題です。花粉が少ないもしくは出来ない品種も少しずつ改良が進んできています。
現在、関東多摩地域では自然活動家として知られるC.W.ニコル氏が発起人でスギ林の伐採及び花粉の少ない品種のスギや広葉樹への植替えが50年計画で行われ始めました。 今後10年間で花粉の量は2割減少できると言われています。
植林に係らず、植物を植えた以上は人間の手を加え、最低限でも管理を行わなければいけない事を改めて感じさせられました。
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御園 和穂
(10/03/01掲載)
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